夫と付き合い始めた時はまだお互い実家に住んでいた。
彼の実家で過ごした時間は私の中で大切な思い出だった。
不可侵とも思える絶対的なものであったのにそれが揺らいだ夢を見た。
彼の実家で、今より若い、付き合った当時を思わせる姿の夫が、手にしたクッションを私に押し付け部屋に入るなと警告して私を拒否、彼の実家に集う人々も私を見てお前は誰だとののしり家から追い出そうとする。初めて見た夢で少々驚いた。
トラウマ治療を始めると鬱になりやすくなるかもしれない、という話をXで見かけたのだけどもそれが自分の実感として少しわかってしまうのが辛い。
人生の中で親に愛されなかった、家族から疎外された、学校にうまく適応することができなかった、人間関係で苦労した、負ってきた目に見えない傷の数々。
私に原因がある。私が悪い。私が我慢すればいい。
悔しさも悲しさも飲み込んで、自分が全てのヘイトを受け入れれば良いのだとそれは仕方ないことなんだと思ってきた。
その負の人生、本当に私が悪かった?と疑い始めて。
自分のための人生を取り戻したいと願い始めた。
今までは負の人生でも辛いこともあったけどだからこそ夫にも出会えたのだ、結婚できたのだ、娘に会うこともできたのだ、と悪いことがあったからこそ良いこともあった、という方法で自分の人生を肯定してきた。だから、負の人生を精査し始めるということは、その上に築かれた幸福のことすらも疑わざるを得なくなるということで。
人生の負の側面だけを崩すことはできなくて、私の人生の絶対的な基盤の一つである夫との出会いも築き直しの対象になってしまうんだなと…それが精神的にしんどいのです。
夫に依存している状況から脱しよう、嫌われても離婚されてもそれを受け入れる強さを持つんだと自分を鼓舞しているものの、出会った頃の確かに愛され大事にされていた、受け入れられていた記憶も夢の中でこのように変化してしまうなんて。過去に向き合うって壮絶なんだと感じています。
でも今の自分に良いイメージも持っていて、生まれ直すということはまるで羽化のようだなと。今いる場所から羽を得て飛び立ち旅立っていくんだと。羽を得る前の蛹は羽化がうまくいかずそのまま人生を終えてしまうこともある。それくらい大変なことをしているともいえるのかもしれない。
トラウマに向き合わない、向き合えなかった自分がいることもよくわかった。そのままでも生きていくことはできたのだ。自分に刺さっている大きなナイフは刺さったままでいる方が安全であるとも言え、抜いてしまえば出血多量で死ぬこともあり得る。過去に受けた傷というのはそういうものだと感じている。
でも私はこの治療をしなければ、自分も娘も夫のことも傷つける自分のままでいてしまうと感じ取ったので、辛く苦しい夢をこの先も見るかもしれないし現実でも試練があるとは思うけれど、羽化できるその日を夢見て前に進んでいく。
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