服に宿るエネルギー①~自分のための服~

いかに安くて良いものを手に入れるかということは、家計を預かる主婦にとって重要な任務。

特に服。服は消耗品であり、自分が着る服はもちろん、育ち盛りの子どもには毎年の買い替えが必要になるため日頃から楽天やベルメゾン、生協のスクロールなどネットパトールしては掘り出し物がないか目を光らせる。

リアル店舗ではしまむら、バースデイ、西松屋、GU、サンキが大好き。

つい最近も西松屋でセールを発見、お値段以上の子ども服を大量にゲットしてきた。

何十年も続けてきたせいか良い服を安く買うスキルがかなり身についていたようで、娘についてはいつも可愛い服着てるね。と褒められることが多く、値段を言うと驚かれることもしばしば。私自身は美容師さんからサンキやしまむらで見つけた服なのに、いいねと言ってもらえることがあった。何となくこのスキルを誇らしく思っていた。このスキルがあるため、意外と被服費を抑えられている我が家にはお下がりをもらう必要性もそんなになかった。

選択一人っ子であるわが娘の存在は私にとって最初で最後の子育てであり、限られた時間の中でお下がりの服を着せるよりも自分の思う可愛い新品の服を着せてあげたいという強い思いもあった。

自分の服にもとにかく予算はかけていなかったが、心の中に少しの違和感が生まれ始めていた。

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去年の秋、娘から言われた「発表会おしゃれにしてきてね」という一言。

娘が幼稚園に行ってる間、喉の腫れで通院していた。抗生剤も飲み切り、医師からもう良くなってますと太鼓判をもらったその帰り道、そういえばおしゃれな服(漠然)買わないと…と立ち寄ったイオン。全国チェーン展開している服屋さんを複数巡るも、なんか違うな…もう今日は見つからないかも…と弱気になる。

そして今まで立ち寄ったことのないお店が目に入り見てみようかと思った瞬間、

『このお店に置いてある服、ほとんど好きだ。着てみたい。買いたい。』

おおよそ値段第一で洋服を判断してきた私にとっては衝撃的な気持ちが沸いた。見ただけであの服もこの服も良い!と嬉しい目移り。でも今日の目的は発表会に着る服探しだ、と自分を落ち着かせ一通り店内を回り、狙いを定めたワンピースを試着することに。発表会などのかしこまった場にも似合いそうだけどかしこまりすぎず、袖に施された異素材の切り替えも遊び心があってとても可愛いくて、そこに使われている生地のプードルの毛のようなふわふわ感は娘が触っても喜びそう。そんな楽しいイメージまで膨らんだ。カラーは4色、その中から白と緑を試着してみた。どちらも良くて決めきれず色違いで購入。

値段はセールで3割引きされて2点で約9000円。セールだとしても、普段の私からしてみたら高いと感じる価格。こんな贅沢していいのかな。でもこんなに気に入る服にはめったに出会わない。娘の晴れ舞台のためだからいいんだ。今まで安い服しか買ってないんだし。自分にそう言い聞かせながらホクホク気分で家に帰った。

この出会い以降すっかりこのお店が気に入り、その後も何回か訪問して服を買った。

このお店は私の地元でしか展開していないセレクトショップのようなお店だった。

『セレクトショップって贅沢だよね。高いよね。縁がないよ。』

そう思ってきたのに、このお店に足を踏み入れた時に思った

『私のための服屋さんだ』という新鮮な感覚。

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子どもの頃から2番目以下だった。姉がいたというのも理由の一つかもしれないが、忘れられないのが13歳の冬のブーツ選び。姉が気に入ったブーツは確か6000円ほど。私は自然と高いものを選ぶのは止そうという気持ちになり3000円のブーツを選んだ。私まで気ままに好きな気持ち優先で主張したら親が困るのではと生意気にも家計に気を遣ったのだ。誰にも気付かれず評価もされないのに自然と自分を抑え込む選択をしてしまうようになっていた。

記憶を辿ると小学生の中学年頃からそうだった。長くなるのでここでは語れないけれど…。

自分で服を選び買えるようになってからも、自分には高い服を買う資格がないと思い込んでいた。パートナーや友達、甥や姪にはそれなりのお店でそれなりのものを買ってプレゼントしても、自分にはそうしようと思ったことはなかった。子どもが生まれると益々自分の服にかける予算は減っていった。

そうしてここ数年、徐々に芽生えていった『私、何かみずぼらしくない?』という戸惑い。

妊娠出産子育てを経て、体重は産後増えたまま体型も戻らず、子育てでは思うように頼れる人もいない中で気力体力も落ちたまま、安い服、何年も前の服で何となく済ませていた。妊娠出産子育てしてるんだから仕方ない仕方ない…と自分に言い聞かせていた。

ふと写真にうつった自分を見たときに本当にみすぼらしく疲れた人に見えた。写真でこうなら人の目に自分はいつもこう見えてるんだ!急にそのことが気になりだした。年齢を重ねて自分自身にハリやツヤが失われていっているのに、その上に安い服、しかも素材がペラペラのものを着ていると、いくら安くて良いもの、と言っても自意識で感じている値段のこと、素材感、もうごまかせない年齢なんだ!服の選び方を変えたり価値観も変えなきゃいけないんだ!なんで誰も教えてくれないの(涙)自分にお金かけないと駄目だよって…年齢上がると尚更だって。感じていたのに言葉にできなかった。私は安くて良いものを買うのがうまいんだ、という自負のおかげで気付くのが遅れてしまった。

なんでこんなに大切にされない?自分で自分を大切にできない?

どうしてなめられるのかな?

服にあらわれていたのかな?

選ぶものは本当に自分の好きなものだったのかな?

自分の声は後回しに値段のことばかり考えて。

妥協ばかりしてきたのではないか?

みすぼらしい女性に対する世間の扱いは残酷だということ。

わかっていたのに自分をそこへ追いやって卑下して苦しんでこなかった?

攻撃していいやつだと思われたのは自分で相手にそう思わせてしまったのかもしれないな。

ブランド品やメイクには興味がなかった。

でもあれは一種の武装であるのだと深く気付くことができた。

身に着けるものやメイクから力を借りて自分のエネルギーにするんだ。

マウンティングなんて下らないと思っていた。

でも相手になめられたら終わりなんだ。

そう考えていくとポジティブになれる反面、人生を振り返って自分にも他人にもぞんざいに扱われ続けてきたことを自覚して心底疲れた。

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去年の夏、娘のスイミングで見かけた他のママさんたちが華やかで年齢に合ったおしゃれをしていて素敵だなと思っていた。

娘を妊娠した時から他の妊婦さんのキラキラと自分を比べて、私は違う、あぁはなれないと感じてきた。実際娘が産まれてみても周りから比べられたり、体系や見た目の変化を揶揄された。

このままでいいのだろうかと思っていた。

永遠に誰かをうらやんで自分を否定して自信がないまま生きていくの?

そんなもやもやを抱えていた時に出会えた服屋さんが、これからは自分の好き、という感覚を大事にすることの尊さを教えてくれた。

ファッションからエネルギーをもらい人生を楽しもう。

値段第一で選ぶべきという思い込みを捨てて、ファッションも自分との良きケミストリーを探す実験のひとつとして研究対象にしていきます。

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